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東京地方裁判所 昭和60年(行ウ)29号 判決

原告 程文雄こと山野文雄

被告 国

主文

一  原告が日本国籍を有することを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和一七年二月二五日、中華民国(当時。現在中華人民共和国)上海市において、父山野茂(以下「茂」という。)と母程菊英(以下「菊英」という。)との間の子として出生した。

2  日本人の茂と中華民国人(当時)の菊英は、昭和一五年一二月ころ、上海市において中華民国の方式に従い婚姻した夫婦であつた。

3  すなわち、法例一三条一項但書により、婚姻の方式に関する準拠法は、婚姻挙行地である中華民国法であるが、中華民国民法(第四編親族、中華民国一九年(昭和五年)一二月二六日公布、同二〇年(昭和六年)施行。以下「民国民法」という。)における婚姻の方式は、公開の儀式と二人以上の証人を有することであり(同法九八二条)、婚姻の届出(中華民国戸籍法二三条)は、方式に属しない。

4  茂と菊英は、昭和一五年一二月ころ、上海市紅棉酒家において、佐藤某ら日本人合計五名、菊英の母親である薫春蓮の外、菊英の親族、知人等中華民国人合計一七名を招いて披露宴(以下「本件宴席」という。)を催し、婚姻の儀式を行つた。

本件宴席は、「儀式の公開」と「二人以上の証人」という要件が満たされているから、茂と菊英は民国民法に定める方式により婚姻をしたものというべきである。

5  原告が出生した当時の国籍法(明治三二年法律第六六号。以下「旧国籍法」という。)一条は「子ハ出生ノ時其父カ日本人ナルトキハ之ヲ日本人トス」と規定している。右にいう「父」とは、自然的血縁関係のある事実上の父で足りるものと解すべきである。したがつて、原告は出生により日本人となつたものである。

仮に、右にいう「父」が事実上の父を含まず、法律上の父のみをいうものとしても、前記のとおり茂と菊英は婚姻しているから、原告は茂の嫡出子であり、茂は原告の法律上の父であるので、原告は出生により日本人になつたものである。

仮に、茂と菊英との婚姻が認められないとしても、日本人たる事実上の父が子を撫育するなど事実上の認知をしていれば、旧国籍法一条の「父が日本人ナルトキ」に当たると解すべきであり、茂は原告を撫育していたから、原告を事実上認知しており、原告は日本人である。

6  被告は、原告が日本人であることを否認している。

7  よつて、原告が日本人であることの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は不知。

2  同2のうち、当時茂が日本人で、菊英が中華民国人であつたことは認め、その余の事実は不知。

3  同3は認める。

4  同4のうち、茂と菊英が婚姻の儀式を行つたことは否認し、その余の事実は不知。茂にも、菊英にも婚姻意思はなかつた。

5  同5のうち、旧国籍法一条に主張のとおりの文言があることは認め、主張は争う。

6  同6の事実は認める。

7  同7は争う。

第三証拠〈省略〉

理由

一  成立に争いのない甲第七、第八号証、乙第五、第六号証(原本の存在も争いがない。)、証人程菊英の証言により真正に成立したものと認められる甲第一九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二四号証、証人程菊英の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は昭和一七年二月二五日、上海市において茂と菊英との間に出生したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  原告が右出生により日本国籍を取得したかどうかを判断する。

1  原告出生の当時施行されていた旧国籍法一条は「子ハ出生ノ時其父カ日本人ナルトキハ之ヲ日本人トス」と規定していたが、右規定にいう「父」とは日本の法律により出生子と父子関係が存在する者を指し(法例一七条)、単に自然的な血縁だけによる、いわゆる事実上の父は含まないものと解するのが相当である。そうすると、茂が原告との間に日本の法律上父子関係がある場合に、初めて原告は出生と同時に日本国籍を取得することになる。

2  原告は、日本人の茂と中華民国人の菊英は昭和一五年一二月ころ中華民国上海市で婚姻したので、原告は茂の嫡出子である旨主張している。

(一)  そこでまず、右の婚姻の効力について考えるに、日本人と外国人との婚姻については、法例一三条一項が「婚姻成立ノ要件ハ各当事者ニ付キ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム但其方式ハ婚姻挙行地ノ法ニ依ル」と規定し、婚姻成立の実質的要件は各当事者の本国法に、その形式的要件は婚姻挙行地法によることを定めている。原告が右の婚姻成立を主張する当時茂が日本人であること、菊英が中華民国人であることは当事者間に争いがなく、原告が主張する茂と菊英の婚姻挙行地は上海市であつて当時中華民国であるから原告主張の婚姻が日本の法律上有効に成立したものといえるためには、婚姻成立の実質的要件は、茂については日本法、菊英については中華民国法により、その形式的要件は、中華民国法によることを要する。そして、日本法も中華民国法も当事者の婚姻意思を婚姻成立の実質的要件の一つとしているものと認められ、また、民国民法九八二条によれば婚姻成立の形式的要件として「公開の儀式」及び「二人以上の証人」の存在を要する旨規定されているから、右各要件の具備について検討する。

(二)  まず、婚姻成立の形式的要件について考えるに、前掲甲第七、第一九、第二四号証、乙第五、第六号証(後記採用しない部分を除く。)、成立につき争いのない甲第一、第二〇号証、原告本人尋問の結果真正に成立したものと認められる甲第二二号証、証人程菊英、同山口雪夫の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、この認定に反する甲第二号証、乙第六、第七号証の各一部は、右認定に供した証拠に照らし採用できず、他にこの認定に反する証拠はない。

(1) 昭和一五年夏、当時菊英がダンサーとして働いていた南京市(当時中華民国)所在のダンスホール東方に、江商株式会社(以下「江商」という。)の社員であつた茂が客として訪れたことから、茂と菊英が知り合うようになつた。

(2) その当時、茂は江商から、日本軍の指令により日本軍の綿を調達するために結成された中支棉花協会(以下「協会」という。)に出向していて上海市から南京市に移り居住していたが、間もなく協会から江商に戻り、南京市から上海市に移り居住することになつた。

(3) 茂は、南京市から上海市に移る前の同年九月か一〇月ころ、菊英の母親に対し、菊英との結婚を申し込んだ。菊英の母親は、夫(菊英の父親)が既に死亡し、自分の兄弟もおらず生活に困つていたため、茂と菊英との結婚を承諾し、菊英も茂との結婚に同意した。

(4) そこで、菊英親子は、茂の指示により、同人よりも前に上海市に移り居住した(なお、菊英親子は、昭和一五年春以前にも上海市に居住していた。)。

(5) 昭和一五年一二月ころ、上海市所在の料理店、紅棉酒家において茂と菊英は、茂、菊英の知人、菊英の親族等、合計二〇名程を招待して、本件宴席を設けた。紅棉酒家の二階には中央に丸いテーブルが一〇位、壁際に四角いテーブルが一〇位あり、本件宴席はそのうちの中央の丸いテーブル二つを利用して行われた。本件宴席の行われた二つのテーブルの上には、それぞれ結婚式を示す「[喜喜]」の文字が書かれた礼のさしてある花かごが置かれていた。そして、本件宴席の様子は回りのテーブルで食事をしている人にもよく分かる状態であつた。

本件宴席においては、菊英の母親が主婚人、茂の知人である顔子瑾及び林挙伯が証婚人となり、右両人が合わせて本件宴席の司会を行つた。そして、右両人が茂と菊英を紹介し、出席者に対し、「今日はこの人達の結婚式のために集まつていただきありがとうございます。」と述べて、その後両人の結婚に至る経過を紹介した。

次いで、結婚証に、主婚人である菊英の母親、証婚人である右顔及び林並びに結婚の当事者である茂及び菊英が押印した。

更に、全員が起立して乾杯をし、「結婚を祝福します。」と述べ、茂と菊英は立つている全員に酒を注いで回つた(なお、二人で酒を注いで回るというもてなしは結婚式に特有のものとされている。)。

(6) 本件宴席後、茂と菊英は、上海市淡水路祥茂新屯五合所在の右林宅の三階で同居生活を始めた。

以上の事実によれば、本件宴席は婚姻の「儀式」ということができるものであり、それが、紅棉酒家の二階の他のテーブルで食事をしていた人にもよく分かる状態で行われたから、右の儀式は「公開」の要件を満たしていたものということができる。また、二〇人程の出席者がおり、しかも、証婚人と呼ばれる者も二人いたのであるから、「二人以上の証人」という要件も満たしていたものである。したがつて、茂と菊英との結婚については、「公開の儀式」及び「二人以上の証人」の存在という婚姻成立のための形式的要件はすべて満たされていたものと解される。

(三)  次に、婚姻成立の実質的要件について考えるに、婚姻の儀式を含む婚姻成立の形式的要件を充足し、しかも、その直後から両当事者が同居生活を始めたという場合には、婚姻意思を欠くと認めるに足る特段の事情のない限り、両当事者には婚姻成立の実質的要件である婚姻意思が存在したものと解するのが相当である。

そこで右の特段の事情の存否について判断するに、まず、前掲甲第二〇、第二四号証、乙第五号証、証人程菊英及び同山口雪夫の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、本件宴席には、茂の両親などの親族や茂の勤務先の江商及び仕事関係の協会に関係する日本人は一人も出席していないこと、茂は、自分の親族や右のような関係の日本人に対し、本件宴席開催前に菊英と結婚する旨を話したこともなければ、その開催後に菊英と結婚した旨を話したこともなく、自分の親族や勤務先である江商には菊英と同居している事実をことさらに隠していたこと、茂と菊英が同居していた家には極く親しい友人以外の日本人が訪ねてくることは殆どなかつたこと、茂は菊英との結婚につき、在上海の総領事に婚姻の届出をしていないことが認められ、この認定に反する乙第六、第七号証は採用しない。しかしながら、茂が菊英との結婚を、自分の親族や勤務先等にことさらに隠していたのは、それを明らかにすることが得策でないとの判断に立つものと考えられるところ、このような茂の判断は、前掲甲第二四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三一号証、証人山口雪夫の証言及び当時日本と中国が戦争状態にあつたという公知の事実により認められる、当時の状勢に鑑みれば、全く不自然なものであるとはいい難いところである。また、在上海総領事に婚姻の届出をしていないのも、成立に争いのない甲第一号証によれば、茂は大正三年四月七日生まれであることが認められるところ、これによれば、茂は本件宴席の行われた昭和一五年一二月には満二六歳で、当時の民法七七二条一項によれば満三〇歳未満の男子はその両親の承諾なくしては婚姻できなかつたから(ただし、同七八三条によれば、その違反は取消事由である。)、前記のとおり両親に隠していた菊英との結婚について、茂が婚姻の届出をしても、受理されなかつたはずであつて、右届出をしなかつたことはやむを得ないといえるし、仮に右届出が受理される可能性があつたとしても、前示認定の当時の状勢に鑑みると、右届出をしなかつたことが必ずしも不自然とは認められない。そうすると、前記の認定事実をもつて、茂と菊英との間に婚姻意思が欠けていたと認めるに足る特段の事情とはなし難い。

次に、前掲甲第一号証によれば、茂は、本件宴席から一年八月余を経た後のことであるが、昭和一七年九月一日、日本人志波和枝と婚姻の届出をしたこと、前掲甲第二四号証及び証人山口雪夫の証言によれば、茂は、以後上海において、菊英との同居を継続しつつではあるが、志波和枝とも同居していることがそれぞれ認められ、この事実によると、茂は菊英と正式に婚姻しているとの考えはなく、単に同棲していたに過ぎないと考えていたものと解し得ないでもない。しかし、一旦婚姻した者が相当期間経過後、他の者との婚姻をすることは全くあり得ないことではないのみならず、前掲甲第二四号証、証人山口雪夫の証言及び弁論の全趣旨によれば、茂が菊英と結婚していることを知らない親許から、志波和枝との婚姻を強く勧められ、父親が危篤状態となつたこともあつて、茂は志波和枝と婚姻したことが認められ、この事実によれば、茂は志波和枝との婚姻について自発的にしたのではなく、父親の手前、心ならずもしたものと考える余地もあるから、茂が志波和枝と婚姻した事実もまた、茂に菊英との結婚につき婚姻意思がなかつたとの特段の事情とはなし難い。

更に、前掲甲第一九号証及び乙第七号証、証人程菊英の証言並びに弁論の全趣旨によれば、菊英は肺結核のため茂の母親あるいは勤務先の手配で入院していた茂の臨終に立ち会わず、また、その葬儀にも参列していないことが認められ、右認定に反する証拠はないが、先に認定したとおり茂は菊英との結婚を自分の親を含む親族並びに勤務先及び知人に隠していたことなどからすると、茂の母親あるいは勤務先において、菊英を茂の正式の配偶者として処遇せず、そのため、右事実のようなことが生ずることも考えられないではなく、したがつて、右事実をもつてしても、茂と菊英との間に婚姻意思が欠けていたと認めるに足る特段の事情があつたとは解し難い。

その他に、茂と菊英との間に婚姻意思が欠けていたことを認めるに足りる特段の事情の存在を認めさせる証拠はない。それゆえ、本件宴席のあつた当時、茂と菊英との結婚について、その実質的要件である婚姻意思が存在したものと解するほかはない。

(四)  以上によれば、茂と菊英とは昭和一五年一二月ころ、婚姻した夫婦というべきであるところ、前記一によれば、原告が昭和一七年二月二五日上海市において茂と菊英の間に出生したのであるから、原告は茂の嫡出子というべきである(法例一七条、旧民法八二〇条)。

3  したがつて、原告は旧国籍法一条によつて、出生と同時に日本国籍を取得したものと認められる。

三  よつて、本件請求は理由があるから認容することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木康之 高橋利文 加藤就一)

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